竹田和平さんが教える「ありがとう」の気持ちを忘れないように
私が竹田和平さんを知ったのは、和平さんが亡くなった翌年のことでした。
もしかしたらその前にお名前を聞いていたのかも知れませんが、印象に残ったのが昨年(2017年10月頃)でした。
何冊か本を読んだ中で著書は中学生向けに書かれた本なので、簡単な言葉で書かれています。
ですが、内容はとても深いです。 実行するにはとても習慣を変えてゆく必要があります。
竹田和平さんについて
和平さんが伝えたいことを3つにまとめてみました
- 与えると自然と受けとれる
- 知らないという事実を受け入れる
- 諦めないこと
- 徳を積む、自信を持つ
- 無駄遣いをしない
- 志を持つ
- 一生懸命遊ぶ、自由を取る
- 簡単に考える
- 童話を読む(イソップ童話、アンデルセン童話、昔話)0.1%の改善
- 変化に柔軟に対応する、波乗り
- 失敗は成功のもと
- メンターを持つ
- お金は徳を形にしたもの
与えるとを自然と受けとれる(お金)
「お金って汚いもの」という風に親から教えてこられた子供が結構いると聞きます。
その理由として「大勢の人が触ったものだから」という理由だそうです。
不特定多数の人が触るものが汚いというのであれば、駅構内などの公共部分の手すりなども同様な気がしてならないのですが、、それはさておき、言い方を変えると回り回って自分のところに返ってきたと考えるのが正解のような気がします。
学生であればアルバイトをして得たお金というのはとても大きい金額でした。それが社会人になり初任給をもらい毎月もらうことが当たり前となってしまうのが2年目。
そのまま社会人を続けてゆくと次第にお金の感覚も麻痺してくるように感じます。
毎月一定の金額が入金されるので、そのお金でどのように過ごそうかなと。
しかし、一旦その毎月入ってくる収入が無くなった場合、自分でお金を作るしかなくなります。 日本の戦後はそれが当たり前だったようで、闇市が栄えたりしたものです。
今は飽食の時代と言われており、お金についての価値が日常で話されなくなりました。
しかしながら、今は格差社会となっており、富を得る人はどんどん富を得て、その逆の人はいつまで経っても富を得ることができない生活を続けなくてはならない。
両者の違いはなんなのか?
私はまだ富を得ているとは言い難いですが、あえて両者を一つの言葉で分けるとすれば「人に与えられるもの」がある人とない人の違いかなと思います。
本のタイトルにもあります「花咲じいさん」は子犬 → 木 → 臼 → 灰 → 花 という過程でそれぞれ大判小判を得ることになりますが、同じ過程をたどった別の人は同じ結果にならなかったと。
明確に良い人、悪い人を分けて話を進める昔話が多いようにいつの時代にも同じように程度の差はあれ、富を得る人と得られない人がいたという内容です。
最近読んでいます別の本でも同じような内容が書かれているものがあり、次回以降ご紹介してゆく予定ですが、どちらに行きたいかというと、富を得る方に行きたいです。
お金をもらうことが悪いこと(相手にとって私が提供する価値が低い)という固定概念を消し去ることが大切であると著書を通じてさらに意識が強くなってきました。
そのお金をもらう分、与えられるものを常に探し続けて習慣化してゆくことが求められゆきますね!
2 知らないという事実を受け入れる
これまで40年以上生きてきた中で様々な経験をすることに恵まれました。
まとめ
竹田和平さんに限らず多くの成功者の人がしていることは「伝えること」であると昨今感じています。
伝えることでより多くの人に成功してもらいたい。
成功といっても人それぞれの価値基準がありますが、共通して思えるのが「お金からの解放」
例えば、月に30万円の支出が必要だが、毎月定期的に50万円入るような仕事をしたらお金からは解放されますね。
まずはその地点に向かって進む、その後次なる高みへ挑戦してゆくというライフスタイルを私は求めてたいです。
何度も読みかえせる1冊です