「哲学ってさぁ」とか「それは哲学だよ」いう人が嫌いでしたが、それは自分が知らなかったからですね

家族団欒

「哲学」とは考え続けることをやめないことである

すこしだけ哲学という意味を知ることができたので、まだ哲学に興味のない人にも理解できるようにブログに残してみようと思います。

まずは教育についてですが、私はこれまでに「日本の教育は詰め込みすぎ」とか「やっぱり欧米の教育はディスカッションが普通だよな」とか分かったふりをしていました。。

私は学校の勉強には全くついていけていなかったので、学生時代はとても退屈な時間でした。「学校をサボるのはよくない」とか言われていましたが、それは間違っていると言えるようにようやくなれました。

というのはまだ私自身が何ができるのかを模索しているのですが、一つだけわかったことは

これまでは「人の話に耳を傾けない性格」でありました。

学校の勉強でも仕事でもなんでも自分がわからないことに対しては人に聞くということをしてこなかったからです。

勝ってに自分の判断で行動、結論づけていたからです。

それは「考えることから逃げていた」または「知っている知識以外を受け入れる余裕がなかった」からです。

哲学は中学や高校などで学ぶ 「倫理」の授業で基礎を覚えるのですが、実際にその授業があったのかすら忘れているくらい学校の授業には全くの思い出せないくらい失われた時間だったことが改めて分かりました。

かといって昔に戻ったら同じように勉強するかというと、それも疑問で当時は何かに影響されるということがあまりなかったのかも知れません。

大人から言われたことが潜在的に残ると言いますが、それこそ自分の考えを曲げない性格はどこかで影響をうけていたのでしょう。

考え続けるには「本」を読むこと、人に会って「雑談」をすること

最近ふと考えると家族をもってから毎日のように会話をしています。

当たり前かも知れませんが、今日の連絡事項などですが、「今日は何をした」「明日は何があるから楽しみ!」「今日は嫌なことがあった、楽しいことがあった」「このご飯は美味しい、美味しくない」「すごいことを知った!ので教えたい」というたわいもない会話があります。

子供が生まれてから生活が一変して、戻るべき場所が出来たので私にとっての家族という楽しさを実感させてくれました。

そのことで私自身の両親と良好な関係を持つことができ、妻の両親とも日常的に会話する関係になりました。

何がそこまで自分を変えただろうと思い返すと、未就学児の育児をしてゆく中での自分の時間にたくさんの「本」を読んだことでした。

そしてその家族を持つまでにしたことは友人、知人にあって「雑談」をしたことだったと思います。

セラピストやコーチングの人たちは雑談からその人が欲しがっていた答えを導いてあげることができる存在で、知人や友人は答えは導いてくれないけど、雑談は聞いてくれるという関係で、私はこの雑談によって一部の基礎が出来ました。

つまり、「話すことで自分の考えを整理する」ことが哲学だということ

今年に入ってようやく長い間もやもやしていた自分の感覚がなんであったか「言葉」にできるようになりました。

「ひとりビジネスを続けるためのラジオ」は自分自身の考えを整理している番組でもある

そう考えると、Podcastをはじめてから自分の考えを言葉で話すようになってから、相手と話しをするときも以前と比べて余裕が出てきました。

そう思うと、今は簡単に自分でラジオ番組を開始することが出来るようになったので、自分の考えを整理するのに誰かに聞いてもらうツールとしても面白い方法かも知れないですね!