「夜と霧」アウシュビッツ強制収容所からの手記

「人間とは何かを決定する存在」という著書の言葉から考えるこれからの生活

 

 

佐藤伝さんの本の中に「夜と霧」から得たものが大きかったという事で早速読んでみました。

本の感想はこの本の重みは今、出会えてよかった1冊です。

それは強制収容所の事実を知れたということではなく、人間の存在という普段意識しないことを意識させてくれるようになるきっかけを与えてくれたからです。

20代の頃に読んでいたら深く理解できていないのかも知れませんが、40歳を過ぎ、子供を持つようになってから変わった生活の中で読んだ著書から私自身の生き方「存在」について少し書き残してみたいと思います

とは言っても40代の少しの苦労しかしていない私が書く内容は薄っぺらいものかも知れませんが、生きにくい社会、孤立した社会と言われている現代社会において自分の「存在」が感じれる場所を作りたいと思い、行動をしている一人の言葉だと思って読んでいただければ、嬉しいです。

選択出来ない状況下であっても希望を持ち続けることが力になる

今の日本社会に限らず多くの場所では政治(権力)の力によって多く事実が捻じ曲げられていると聞きます。

生きにくい社会、孤立した社会と言われており、生きていくのが苦しい(苦痛)という人もいます。

人に対する関心が薄れてゆくというのは「環境」に大きく左右されるものだということを感じます

手記の中に「人の列に並んで進み、右へ行かされればガス室で死を迎え、左に行かされたら強制労働ではあるが生きることができるとありました。

手記にもありましたが、選別される時に強制労働でも働けそうな健康にみえるように振る舞うという行為によって生きる選択が得られたということですが、当時の環境下でガス室に送り込まれた方が苦しみは一度だけと思ってあえてそちらに向かった人にいたのではないかと。

今はガス室というものはありませんが、毎日機械のような作業を繰り返し行わなければいけない仕事も多くあります。

今ではデジタル化が進んでいてこのような単純作業は減ってくるのかと思いきや、アマゾンなどの多品目を取り扱う企業などでは今でも同じような作業が行われているようです。

しかし、意識の持ち方によっては自分の居場所をそこに見出せる人もいるということです。

自分の存在をどこに持っていくかによって毎日の生活にも大きく変化をもたらすことになれると私は著書を通じて感じることができます。

自分らしく生きれる時代をつかむには「健康」を維持するのが一番

私は楽観的なのか、今が充実していると感じる人であります。

何不自由のない生活というわけではありませんが、不自由な事をどのようにしたら自由になれるのかを考える性格のようです。

その中で30代後半から続けている習慣に健康になるための生活習慣を行なっております。

私のことを必要としてくれる家族がいるからこそ元気になれると感じていましたが、それはある種の「共依存」に近いことかも知れないので、今後は家族のためにという考えも少しずつ変えてゆこうかと。

禅の教えにもあるように「自分の存在」を認め始めて、それをきっかけにして前に進めるように!

 

 

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